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地侍たちの戦国ー来住野一族ー

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2010年4月17日 (土)

地侍たちの戦国(2)-来住野一族ー

 『新編武蔵風土記稿 第六巻』雄山閣版71頁~74頁に舊家来住野徳兵衛・百姓八十八の記述が有る。
 来住野徳兵衛 徳兵衛は八王子の千人組の同心なり、家系は詳にせざれど、家に古き文書六通を蔵せり、これによれば天文以来戦争の間、来住野大炊介とてしばしば走廻の働ありし人の子孫なること知るべし、
 百姓八十八 来住野を氏とす、先祖は北条氏に仕へし士とのみ言傳へて詳なることを知らず、おもうにこれも来住野徳兵衛が一族にて、小田原北条に仕へしものなるべし、家に先祖が帯せしものなりとて太刀一振、差添一振を持傳へり、太刀は身の長二尺八寸五分、中心七寸一分、鎺本にて幅一寸三分、銘に長光の二字を鐫す、錆深くして焼刃のさましるべからず、差添は無名にて長一尺八寸二分、革柄にして鐡具はすべて赤銅斜子なり、鐔に廣道の二字を銘す、太刀の拵はみな失へり、
 
 来住野徳兵衛家に伝わる古文書六通のうちの一通に次のようなものがある(写し)。

    横地吉信書状(返書)
  
  來住野大炊助方・同名大蔵丞上下之儀承候、尤自前々
  大炊助方そうりやう筋之由候間、可爲其分候、委細承届
  候、將叉きさいち右馬助片夫の儀、急度御作買候て、彼
  方ニ御渡尤ニ候、指加之儀も、此間之半分可被爲候、何事
  も重而可申宣候、恐々謹言、
                    横地監物丞
  弘治三丁巳年                 吉信(花押)
    正月十八日 

          下高尾高岩齋
          上高尾修理進殿
                    御報

 北条氏照の重臣横地吉信が下高尾高岩齋・上高尾修理進に来住野大炊助の家臣来住野大蔵丞の着到について前々から大炊助が総領と決まっていること、また、私市右馬助の夫役についてはきっと作職を買い調えて右馬助に渡すことと半分を耕作させた(後北条氏家臣団人名事典)。
 弘治三年は北条氏照が十八歳の時、この年の七月に五日市の広徳寺領の山管理について、北条家の規定が出される(広徳寺文書)。前年五月に、相模国座間郷の鈴鹿大明神の再建棟札に「北条藤菊丸」と見え、北条氏照の初名との説が有力である。来住野(きしの)氏は武蔵国多摩郡戸倉村(東・あきる野市)の地侍。高尾氏は来住野氏の一族かと思われるが不明。東京都あきる野市大悲願寺の過去帳には天正十八年六月二十三日の八王子城の落城に際して、高尾近江・高尾雪齋・高尾備前・高尾弥八郎・高尾弥九郎等の多くが討死した。
【横地吉信】監物丞。北条氏康、のち武蔵国滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。氏照の奉者・家老を務める。永禄二年の二月の『役帳』御馬廻衆に横地監物丞と見え、「八貫文 西郡願成寺分(神・小田原市)」を知行役高とし、他に二〇貫文の蔵出を支給された。
【来住野大炊助】某康明の家臣、のち武蔵国滝山城主北条氏照の家臣。天文十三年十二月八日某康明感状写(武州文書二五七)では上野国で「ほうさま」に従って働き忠節を認め大炊助に日影・落合(東・あきる野市乙津)を知行として宛行われる。永禄九年六月二十一日北条氏照朱印状写(同前九五六)では知行高十一貫文に対して軍役着到が確定し長柄鑓一本の足軽一人と兜に大立物(前立)を付けた大炊助自身(騎馬武者カ)が引率する事とある。鑓は竹鑓は禁止され金銀の箔で家紋を押し、長さ六~七寸のニ重にした策紙を付ける事、鑓持の足軽には革の陣笠を被らせ、武器は二〇歳より若い者に持たせてはならない。立物の無い兜は違法と命じた。
【来住野大蔵丞】横地吉信書状以外は不明。百姓八十八の先祖か
【きさいち右馬助】私市党の流れを汲み、武州南一揆の有力な構成員であった。来住野氏とは縁戚関係であろう。
【下高尾高岩齋】横地吉信書状以外は不明
【上高尾修理進】横地吉信書状以外は不明

 *このブログ作成にあたっては五日市古文書研究会の清水菊子氏に多くのご教授を頂いた、あらためて感謝したい。


たろうさんの増築工事(#^_^#)

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おはようございます。娘の家の増築工事現場です、屋根が乗りました!雨が降らないようにと思います。来月の末には引っ越せるでしょう?
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今書いている詩(925)「たろうさんの鯉のぼり」

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今書いている詩(925)

    たろうさんの鯉のぼり

「屋根より 低い鯉のぼり…」
友翔くんのお父さんが唄います
鯉のぼり建てられる家は多くありませんね
みんなミニ鯉のぼりです

友翔くんの初節句です
風に少し泳いでます
矢車も廻っています

鯉のぼりのように
友翔くんも世間の風を
スイスイと泳ぐといいねぇ~

湯河原のおじぃ~ちやんたちも
友翔くんの健やかな成長を
願っています

友翔くん キミは恵まれてるのです
たろうおじぃ~ちやんは
キミに癒やしを 何度も頂いてます
ありがとうね!

すべてのこどもたちが
祝って貰えるといいですね
「愛と平和」で満ちる日々で欲しいです

孫の未来のために 
たたかう じぃ~ちゃんになります
ベルトの穴を二つ縮めるため
明日から変身です

「鯉のぼりくんも 力を貸してね!」
「たろうおじぃ~ちやん 革新の風吹かしてね!」


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今書いている詩(1196)「カクセイ(覚醒)」

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今書いている詩(1196)

カクセイ(覚醒)

目が覚める
枕元の
LEDスタンドに
触れる
デジタル時計の
頭を撫でる

アメリカ製の
アイマスクを
外す
ドアを開ける

廊下の
LEDの
非常灯が
目を覚ます

暗い
階段を
降りる

トイレの
灯りが
洋子さんの
心遣いの
小菊を
照らす

小の
方向に
レバーを
倒す
水が
流れる

うがいする
顔を洗う
暗い
階段を
上る
LED君が
待っている
「スッキリしました?」

横たわる
息が
鼓動が
歯の擦れを
感じる
耳栓を
してるから

音が
遮られてるから
自分を
強く感じる

2時38分だった
朝を待つか
仕事の
束縛はない
姿勢を
変えてみる

「お願いします」
洋子さんの声
7時7分だ
生きている
慌てて起きる


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北条氏照家臣ー間宮若狭守信綱ー

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2010年4月29日 (木)

北条氏照家臣ー間宮若狭守綱信ー

 まみや〔間宮〕 『寛政譜』巻四三三に間宮氏系図を載せ、宇多源氏の氏族佐々木氏の出と伝える。室町期に真野新左衛門信冬が伊豆国間宮庄(静・函南町)に移り間宮氏を称した。信冬の子孫豊前守信盛が伊勢宗瑞に使え、信元ー康俊ー康信ー直元と続いた。
【間宮綱信】つなのぶ 源十郎・若狭守。信元の次男。武蔵国滝山城(東・八王子)城主北条氏照の家臣。使者を務める。室は宅間富朝の娘。天正二年(1574)十二月二日芳春院周興・昌寿連署書状案(喜連川家料所記・四四七〇)では古河公方の御料所を書きあげて垪和康忠に差し出し北条氏照の家臣狩野宗円と間宮綱信の確認の証判を据えた。『信長公記』巻十三には天正八年三月九日に綱信は近江国安土城(滋・安土町)の織田信長の許に北条氏照の使者として赴き滝川一益の饗応を受け安土城を見学、十日には京都を見物して帰国した。
 
 『信長公記』巻十三、天正八年三月九日、北条氏政より鷹十三足が進上されてきた。その中には、「鴻取・鶴取・真那鶴取」と名付けられた鷹も入っていた。また同時に馬五匹も進上された。進上は洛中本能寺で行われ、鷹居の者が据木に繋いで信長公へ進上した。この時申次を務めたのは滝川一益であった。
 翌三月十日、今度は氏政の使者が到来して信長公へ御礼を行った。進物の太刀および進物目録の折紙は佐久間信盛が披露したが、その内容は以下のごとくであった。
 進物  白鳥 二十  熨斗 一箱  蚫 三百   煎海鼠 一箱  江川酒 三種二荷  以上

なお氏政の使者は笠原越前守、舎弟氏照の使者は間宮若狭守であり、さらに下使として原泉和守が同行していた。

 関東衆の口上の趣旨は、対応を務めていた武井夕庵・滝川一益・佐久間信盛の三使との間で縁組を行い、関八州を織田分国として参らせたいというものであった。そして口上ののち笠原越前が太刀・折紙を進上し、間宮若狭守が氏照の御礼をごんじょうした。次いで笠原・間宮両名が自らの御礼を申し上げ、最期に原泉和が御礼を言上した。
 そうして各自が退出したのち、信長公は関東衆へ「使いの儀、幸いのことであった。滝川左近案内にて京都を懇ろに見物いたし、そののち安土へくだられよ」との言葉を伝えた。そして自身はその日のうちに京を出、途中大津の松が崎近辺で白の御鷹を放ったのち、晩になって舟で矢橋に上陸して安土へ帰城したのだった。その後信長公は十三日になって金銀百枚を使者の笠原・間宮両人に贈り、「京都にて田舎の土産を揃えられよ」ともうされた。
 
 八王子城は天正六年頃から築城が始まったとされている。間宮若狭守はこの安土城での見聞を八王子城の築城に際して活かしたとされている。信長は天皇を招く施設を安土城に設け、氏照は古河公方を八王子城へ招く施設を設けたと思われる。
 天正十八年六月の八王子城(東・八王子市)落城ののちは徳川家康の家臣西尾吉次に召し出され徳川家に仕え武蔵国氷取沢村(神・横浜市磯子区)で隠居料500石を宛行われた。慶長十四年(1609)十月十日歿。七十四歳であるから安土城訪問は四十五歳頃のことであろう。此の時、氏照は四十二歳である。のちの子孫に間宮林蔵がいる。

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今書いている詩(926)「たろうさんのタンポポ(タンデライオン)」

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今書いている詩(926)

    たろうさんのタンポポ(タンデライオン)

黄色い花で こころを春にしてくれた
キミが旅立つときが来たんだね
タンデライオンは格好いい 英名だね

わたしの庭のタンポポくんも
舶来のキミたちだね
タンポポくん 風に乗って
何処までも飛ぶんだよ

みんないつか別れるときが来る
来年は隣の空き地で咲くのかな
鳥も花も もう旅立ちの時なんだね
人間だけがいちごのはる(15の春)
時間がかかる 準備がいるんだね

たろうさんはあと15年たつと
82歳になります
友翔くんは中学を終える頃です
元気で生きていたいなぁ~

何度もタンポポくんの
旅立ちを 見送りたいなぁ~
まだ咲いている タンポポくんを見ながら 
健康でいられる いまをキミたちに感謝です


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今書いている詩(1197)「ウエル(Wellじゃない飢える)」

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今書いている詩(1197)

ウエル(Wellじゃない飢える)

朝になる
雀たちが
啼いて
待っている
腹が空いた
チュン チュン

朝日が
差し込む
部屋で
静かに
聴いている

聞きなさい
小鳥たち
もうすぐ
私は居なくなる
君たちと
お別れ
食べ物を
探しなさい

自分たちで
お腹を
満たすんだよ
飢えが
待っている
Wellじゃない
飢える

探せるよね
満たせるよね
君たちは
直ぐに
慣れる
適応できる

私は
種を蒔く
飢えないさ
心の畑を
耕すよ

私には
言葉の
鍬が
ある

ウエル
Well
飢える
自分勝手な
老人の
呪文?


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たろうさんの気象観測所☀

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おはようございます。夕焼けの里は素晴らしい景色です。梅雨の晴れ間ですね、屋根の本葺きが出来るといいです。
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今書いている詩(927)「たろうさんの自転車(朽ちる)」

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今書いている詩(927)

    たろうさんの自転車(朽ちる)

時は過ぎる
ひとのこころも変わる
キミは忘れられているか
いえ 忘れているのではありません
タイヤはヒビが入って 空気も入らない
サドルは雨風に晒されて 裂けそうです
メッキの部分のスポークや
リムは深く 錆が進行している

都会の中ならキミに載るんだが
この斜面の団地では帰りが辛いから
キミの居場所はここになってしまった
元気ならもっと乗れるね
便利なのは自動車くんなんだ
エコを求めればキミの時代なんだが

ドクダミに囲まれて 眠っていてくれ
廃品回収には出さないよ
わたしが先に廃品になるのかなぁ~
キミの先輩を 少年時代には
毎日手入れをしたもんだ 錆もなかった
希望に燃えて ペダルを踏んだよ

わたしのこころも 錆びついてしまい
身体もガタが来て 朽ちるのも案外に早そう
時間よ 止まれ こころのグリスを 交換するまで


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地侍たちの戦国(3)ー杉田一族ー

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2010年5月16日 (日)

地侍たちの戦国(3)-杉田一族ー

 杉田氏は武蔵多摩郡川野村・小河内郷(東・奥多摩町)の地侍。もと三田氏の家臣。この地は武田氏との国境の地、いわゆる「境目の地」である。
 相模原市緑区の津久井地区の津久井衆は、戦国時代に「敵半所務」「敵知行半所務」といわれ境目の地侍であった。また、檜原村の平山氏も境目の地侍であった。このように後北条氏の治めた戦国時代には境目の地侍達の動向は重要で、他国の情報を知る、目鼻でもあった。そこでは、建前では敵・味方の対立もあったが、経済面ではお互いの交流があったと思われ、厳しい対立状態ばかりではなかったろう。曖昧なことも重要なのである。
 『新編武蔵風土記稿』第六巻141頁(雄山角版)には杉田氏の記載が有る。
舊蹟 杉田某屋敷鋪蹟 村の西邊を云、北条の臣杉田某の屋敷跡なり、北条氏没落の後子孫民間に蟄居せしよりこゝ居れし、今の農民次郎兵衛は舊家なれば、猶舊家の條に辨せり、
舊家 百姓次郎兵衛 杉田氏にて村の里正なり、家系を閲するに杉田右近允重直武州多磨郡の内相馬保に住せり、この人杉田氏の始めなり、按にこの邊杣保庄の唱あり、杣保は相馬保をかきかへたりと云ことは已に前に辨したり、さあらばこの人の時よりこゝ居りしなるべし、其子次郎兵衛尉入道淨泉北条氏直まで歴任して、いと長壽なりしことも家系に見えたり、この後にのする文書に入道殿とあるべし、其子次郎後に越後守と称せしもの相馬保三ヶ所知行とあり、又杉田清兵衛富久後但馬守など云ものあり、この外杉田氏を記せること連綿たり、杉田越後守及杉田清兵衛へあたへし文書三通、外に三田弾正への文書一通を合せて、家に蔵せるは後にのせり、左の文書を見ても、舊くよりこゝに居りしことしるべし、北条氏没落ののち民間に下りしことは舊跡の條幷せ見るべし、


  本領ニ候間、河野之儀不及申、大木幷原島左京亮分
  へ永代出置候、猶奉公簡要、如件、
  享録四年なり
  辛卯卯月十日
                 大蔵少輔信教(三田氏)
       杉田越後守殿

        (東京都西多摩郡奥多摩町川野)

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
  大途御弓矢立ニ候間、小河内衆之證人、此度召上
  候、然者十二ニ成小所持申候由被聞召届候□子を
  惣□ニ御扶持可被下間、速ニ證人被進上、心易谷中
  之走廻可致之、此度抽候走廻ニ付而は、随望知行可
  被下旨、被仰出者也、仍如件
  天正十五年なり
  丁亥正月五日
                奉 大石四郎右衛門尉
                   横地與三郎
                   狩野刑部大輔
        杉田清兵衛殿

          (奥多摩町川野 杉田郡平現蔵)

   -------------------

  御懇のふみ給候、依下うりのわらへ之儀、一人□つけ
  おき申候處ニ、このほうへ御越なされ、あとへ御返
  し可有よし、うけたまはり候間、先へ兩四人へあつ
  け申候、如何さまするかより罷歸候はゝ、たんかう
  よろしくさかひめ之儀と申、重て此方より罷下候も
  の、御しやうにんになられ候はゝ、しあん申被爲も
  可有之候、委く甚左衛門へ申付候、委曲重而恐々謹
  言、
   返々後童申候儀、能々御談合可致候以上、
   九月廿八日
                  喜多右親富(花押)
         杉 田 入道   殿
         同 右 近 丞  殿
         原島七郎右衛門尉殿
         同 七郎左衛門尉殿
                 まいる

           (奥多摩町川野 杉田郡平現蔵)

   ----------------ーー

【三田大蔵少輔信教】 三田氏の一族、この文書以外不明。
【杉田越後守】 杉田次郎兵衛尉入道淨泉の子。次郎、のち越後守。
【大石四郎右衛門】秀信 源七郎・四郎右衛門尉・遠江守。松田筑前守の三男。武蔵国滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。大石綱周の弟遠江守の娘を室とし娘婿として家督を相続。
【横地與三郎】横地監物丞吉信の嫡男。滝山城城主北条氏照の家臣。普請奉行を務める
【狩野刑部大輔】狩野一庵と父子か一族。
【杉田清兵衛】杉田氏の一族。富久(清兵衛・但馬守)。
【北条親富】この文書以外不明。
【杉田入道】杉田右近允重信の子。次郎兵衛尉入道淨泉と号す。
【杉田右近丞】杉田右近允重直と同一人か。元三田氏の家臣と思われる。
【原島右京亮】武蔵国辛垣城(東・青梅市)城主三田綱定の家臣、のち滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。永禄五年四月十日北条氏照朱印状(斎藤真指氏蒐集文書・七五五)では武蔵国いつ原(東・奥多摩町)の原島右京亮に三田氏の時に下ろしていた一原のはい鷹の巣を当年も滝山城の北条氏照に納めさせた。奉者は横地吉信。
【原島七郎右衛門尉】北条親富、のち滝山城城主北条氏照の家臣。
【原島七郎左衛門尉】原島一族の棟梁家と思われる。原島氏は武蔵国多摩郡一原郷(東・奥多摩町)の地侍。丹党の一族。同国丹三郎にも一族がいた。

たろうさんの孫(#^_^#)

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おはようございます。はるとくん、熱がでています 。じぃ~ちゃんに、ビスケットを食べてと差し出します。大切な孫ですよ!
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中山安兵衛(堀部安兵衛)と中山家範の先祖

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2010年6月 6日 (日)

中山安兵衛(堀部安兵衛)と中山家範の先祖

 忠臣蔵の堀部安兵衛は元の姓が中山安兵衛であるのは良く知られている。安兵衛の父親は中山弥次右衛門と言い、江戸時代前期の武士である。通称は七之助で、新発田藩士で江戸詰め300石であった。正保2年(1645)に父が江戸で死去し、中山家の家督と弥次右衛門の通称を相続した。承応2年(1653)に国許の新発田城勤務を命ぜられ、250石をあたえられた。また妻として初代藩主溝口秀勝の五女溝口秋香と溝口盛政との間にできた六女を迎え、その間に中山安兵衛と三人の娘を儲けた。長女ちよは夭折したが、次女きんは、溝口家家臣町田新五左衛門に嫁いでいる。しかし、後に200石に減俸され、さらに溝口家を浪人することとなる。浪人の時期・理由については諸説あるが、『世臣譜』の記述を根拠にする説で、天和3年(1683)に城の櫓の管理をまかされていたのに失火させて櫓を失ってしまったため藩を追われた、とするのである。浪人直後の天和3年5月25日に死去。中山家の菩提寺の新発田長徳寺に葬られた。法名は釈休誓。
 新発田市には上・下中山の地名が有る。これらは加治庄の内であろう、成立は源頼朝の側近佐々木盛綱の子が加治の地を与えられたことによると言う。揚北衆は、鎌倉時代から戦国時代にかけて越後北部に割拠した国人豪族で、揚北とは阿賀野川(揚河)北岸地域のことである。土着姓が強く反抗性もある。中山弥次右衛門は江戸時代にあってもこのような反骨の武士であったもではないだろうか。安兵衛もこのような父のありようを十分に受け継いでいたのである、それが稀に見る仇打ちの成功となったのであろう。共に戦国の世であれば一国一城の主になれたのであろう。佐々木氏は加地氏(宗家)、新発田氏、竹俣氏、五十公野氏に分かれた。北条氏照の重臣中山家範は武蔵七党の一つ丹党の出自である。加治助季の子孫が中山の地を領して、地名によって中山を名乗るようになったと言う。加地=加治と思われるので先祖は何処かで繋がっているのであろう。
【中山家範】吉範。助六郎・勘解由左衛門。武蔵国滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。家老を務める。室は山田直安の娘。天正十八年六月二十三日に八王子城に籠城して豊臣方の北国勢と激戦ののち落城し討死した。嫡男照守と次男信吉は徳川家康に仕え旗本となり、信吉は水戸藩主徳川頼房に仕えて家老となる。武蔵国中山村(埼・飯能市)には智観寺の東方に家範の館跡があり堀跡が残り智観寺には信吉の墓がある。


今書いている詩(928)「たろうさんの娘(17)」

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    たろうさんの娘(17)

娘に言われて
木のベッドを
かたづけました
今度は5月8日に
友翔くんと来る予定です

娘の寝ている間に
友翔くんがベットに登って
隙間に落ちないように
して欲しいと言います

「もうベッドは要らないから 処分したら」
娘に言われても
直ぐに友翔くんが使うようになるから
処分できません
「その頃には木が駄目になるでしょう?」
大和田の団地では二段ベットで
洋子さんと娘が寝てました

囲いのないこのベッドでは
友翔くんが落ちるかも
でもね 娘が使っていた
洋服などが 家から減って行きます
ベッドがなくなれば広くなります

思い出が消えて行くようで
寂しいのです
洋子さんと二人きりの
この家は広すぎます
廊下に洋子さんが
分解したベッドを置きました
部品もビニール袋に入れ
取ってあります

広くなった部屋の隅で
大きなリラックマと
ミニーちゃんの枕が
娘の帰りを待ちわびています

ズーッと娘と一緒に暮らすのが
たろうさんの願いでした
毎日 孫と会いたい
「神さま ぜいたくですか?」
「たろうさん 無い物ねだりしてますよ!」

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地侍たちの戦国(4)ー原島一族ー

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2010年7月10日 (土)

地侍たちの戦国(4)-原島一族ー

 奥多摩町文化財保護審議会編の「日原鍾乳洞出土の古鏡と古銭(二)」に原島氏の記述が有る。其の他に雄山閣版『新編武蔵風土記稿』第六巻一三四頁を始めとする記述や下山冶久編『後北条氏家臣団』人名事典により、丹党の出自の戦国期の原島一族を記しておきたい。
 丹党(たんとう)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国入間郡・秩父郡・および児玉郡西部(旧賀美郡)にわたって繁栄した武蔵七党の1つである武士団で、第28代宣化天皇の子孫である丹治比の後裔を称し、各種史書でもいずれも宣化天皇後裔としている。一方で、これらの史書上に掲載されている系図の掲載内容が史実と矛盾することから、後世の仮冒とする説も多く見られる。丹党・児玉党・猪俣党などの武蔵武士団は、南北朝時代に南朝廷側=新田義貞に付いた爲、新田氏の滅亡と共に弱体化、あるいは没落していった。さらに上杉禅秀の乱では禅秀に味方した爲、鎌倉公方の足利氏に所領を没収されている。
 一石山大権現に仕える社家は、右京(原島本家)と淡路(原島本家から隠居し、後に独立)を名乗る二家があり、江戸時代右京家は名主役を、又、淡路家は年寄役を勤め、社家職と村役の職は代々世襲により明冶の初めまで続きました。両家の先祖は、室町時代の明応年中(1492~1500)に武州忍領原島村(現埼玉県熊谷市)から一党とともに来住した原島丹次郎友一・丹三郎友連の兄弟で、兄の丹次郎が「日原」を弟の丹三郎が「丹三郎」と「小丹波」を開拓、次第に奥多摩各所へ勢力を扶植していきました。日原に根を下ろした丹次郎一族は、その家系図によると丹次郎友一から、右源太友兼、右京亮友安、友正、淡路友則(後略)と続いています。原島氏が社家となった初めは、新編武蔵風土記稿によると丹次郎友一の孫右源太友兼(系図は子)の時からとあります。この頃、三田谷(みたやつ)と呼んでいた羽村辺(羽村市)から多摩川上流域までを納めていた領主は、上杉氏に属する青梅勝沼(青梅市)の城主三田氏でした。忍領から移ってきた原島氏も初めは三田氏に隷属(れいぞく)していましたが、三田氏が小田原の北条氏に滅ぼされたため、北条氏の傘下(さんか)にはいりました。この切替時の頃と思われる文書がのこされています。八王子城主北条氏照の家老横地監物から原島右京亮と日原百姓中に宛てたもので「来る(五月)朔日二日の間に鷹巣を差し出すべし。もし巣を隠すか差し出さない時は、原島は仕置きに処し、百姓や従類(一族郎党)は、いつ原(日原)から追い払ってしまうぞ。口語要約)」という厳しい内容のものです。〔日原鍾乳洞出土の古鏡と古銭(二)〕
 舊家 百姓新三郎 村の名主をつとむ原嶋氏なり、家の系図を見るに、其先祖は黨國七黨の内丹之黨丹貫主峯時の後裔にて、原嶋丹三郎友連と云、この友連より十餘代の先祖、足立郡原嶋村に居住せしより在名を以て氏とせり、友連も文明八年(1476)原嶋村にて出生せし人にて、小田原北条家に奉仕して、後にこの邊を領し、天文年中に死せり、その子彌次郎友乗も父と同じく北条家につかへしが、かの家没落の後落魄して土民となりしよりこゝに土着し、子孫連綿としてこの新三郎に至れりと云、或云友連が子孫土民となりしのち、當村及び小丹波村を開墾せしと、按に前にのせし日向和田村の百姓彌四郎が蔵する永禄の文書に、すでに丹三郎村の名みゆ、しかるにこの子孫の土民となりて此地を開きしと云うは、天正の末のことなれば、年代たがへり、此説誤れること知るべし、
 社家 原嶋右京 丹冶姓にて、先祖原嶋太郎直友と云しは、當國の忍領原嶋村に居住せし故原嶋を以て氏となせり、此人天文年中までは関東の管領上杉憲房に属し、後古河公方成氏の旗下となれり、其子丹二郎友一は文明五年(1473)原嶋村にて生まれ、弟丹三郎友連は文明八年(1476)是も同じく原嶋村にて生る、明応年中兄弟ともに小田原北条家に仕えしに北条たえしよりかの兄弟ともに民間に下し、友一は當村を開発し、友連郡内小丹波丹三郎を開発せしことは、その村舊家の條下に辨せり、友一の孫右源太友兼、村内一石山巌窟社家職となれしより子孫今に至れり、後分家せしは淡路守友則とて、これも村内倉澤巌窟の社家職となり、されば原嶋二家共に今は村内の社家職となる、
 舊家 百姓藤兵衛 氏を原嶋と称す、代々村の里正をつとむ、同郡日原村の里正右京と同家なり、右京が先祖を丹冶郎友一と云、其弟を丹三郎友連と云、北条の家臣にて天正年中まで此邊を領せしが、北条家没落せしより子孫土民となりて暫く此所に跡をかくし、其後一村をひらきおのが名を負せて丹三郎と云、夫よりして後又當村を開発せりと、村人は初めに此村をひらき、後かの村に及びしなりと云、いづれが是なりや未だ詳にせず、なを丹三郎村舊家の條下合せみるべし、彼が家に古刀及び古き鞍など所持するをもて見れば、舊家なることは疑ひなかるべし、(雄山閣版『新編武蔵風土記稿』第六巻134・158・169頁)
【原島右京亮】 武蔵国辛垣城(東・青梅市)城主三田綱定、のち滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。永禄五年(1562)四月十日北条氏照朱印状(斎藤真指蒐集文書・七五五)では武蔵国いつ原(東・奥多摩町)の原島右京亮に三田氏の時に下ろしていた一原のはい鷹の巣を当年も滝山城の北条氏照に納めさせた。奉者は横地吉信。
【原島七郎右衛門尉】 北条親富、のち滝山城主北条氏照の家臣。年未詳九月二十八日北条親富書状(杉田郡平氏所蔵文書四一一二)では杉田入道・杉田右近丞・原島七郎右衛門尉の四人に下からの童子の証人(人質)を出す様に求めたが当方へ寄越さず四人のところに留め、あとで返してほしいと言ってきたが、今は駿河国に出陣中で帰ったら相談するので、それまでは四人でよくよく相談しておくこととし詳しくは甚左衛門から伝えるとした。杉田氏も武蔵国多摩郡川野村・小河内郷(東・奥多摩町)の地侍で、もと青梅の三田氏の家臣。
【原島孫二郎】 もと武蔵国辛垣城主三田綱定、のち滝山城主北条氏照の家臣三田冶部少輔の同心。永禄七年(1564)五月二十三日北条氏照朱印状(和田一男氏所蔵文書八五四)では武蔵国清戸番所(東・清瀬市)の在番衆の三番衆頭の三田冶部少輔の配下として原島孫二郎・同善六郎代と見える。
【原嶋善六郎】 孫二郎の一族。辛垣城主三田綱定、のち滝山城主北条氏照の家臣三田冶部少輔の同心。永禄七年五月二十三日北条氏照朱印状では武蔵国清戸番所の在番衆の三番衆頭の三田冶部少輔の配下として原島孫二郎・同善六郎代と見える。善六郎代とあって代理人が番衆を務めているのは善六郎は三田綱定に属して永禄四年四月の辛垣城で北条氏照との戦いで戦死したために代理人が番衆を務めた。
【原島新三郎】 武蔵国滝山城主北条氏照の家臣平山定衡の同心。永禄四年五月十九日平山定衡判物(原島実氏所蔵文書七〇一)では原島新三郎に武蔵国丹三郎(東・奥多摩町)の屋敷分三〇〇文と同野地一〇〇文の合計四〇〇文分を前々の様に安堵した。
【原島新右衛門】 武蔵国勝沼城主三田氏宗・綱定、のち滝山城主北条氏照の家臣師岡秀光の同心。年未詳三月二十九日三田氏宗書状(原島文書・奥多摩町史歴史編)では原島新右衛門に前々の如く武蔵国小丹波内の丹三郎の地主(領主ヵ)を安堵し沢木某抱えの地を宛行った。永禄四年三月に三田氏を北条氏照が滅ぼすと氏照の配下となり、永禄八年十一月吉日師岡秀光判物(原島実氏所蔵文書九三一)では原島新右衛門に今後も親密にしていく事を依頼し官途の事も申し合わせていくと伝えた(下山冶久編『後北条氏家臣団人名事典』)。

今書いている詩(929)「たろうさんの杉(育つ)」

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今書いている詩(929)

    たろうさんの杉(育つ)

庭のタタキの
隙間から
杉が生えてきた
2年ぐらい前からかな?
根性杉ですねぇ~

おまえ 変わったヤツだねぇ~
わたしも変わっているが
友翔くんと 成長比べだな
このまま残すと
大杉になるなぁ~

30年経たら
根がタタキを割って
木は屋根を 越えるね
おいおい 其処までわたしは
生きてるのかなぁ~

上手くゆけば
ひ孫にも会える
他にも兄弟が 出来ていて
みんな大人だね

杉くんよ
大志を抱け
我が家に
根付け
孫に ひ孫に
革命をもたらせ
世の中の
移り変わりを
眺めろ

叔父が額に入れていた書が
「世上みて たんのう」 

繋がる 繫がる
わたしの意志が
DNAとして


世界中の子供たちに反原発反戦で笑顔を!
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世界中の子供たちに反原発反戦で笑顔を!日本国八王子市夕焼けの里の69歳の老人が2人目の孫たちの未来の幸せのために反原発反戦を訴えます!
Children around the world to smile in anti-nuclear anti-war! 69-year-old old man of the village of Japan Hachioji sunset will appeal the anti-nuclear anti-war for the sake of happiness of the future of the 2nd grandchildren!

たろうさんの☆ですよ!

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今日は、木下かれんちゃん。雨が降らないようにと思います、陽が出ていましたが曇ってきました?お仕事頑張って下さいね、八王子の夕焼けの里から応援させて頂きます!(#^_^#)
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たろうさんの孫ですよ!

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孫のゆうとくん、ばぁ~ばにおしめ変えて貰っています。保育園でオシッコの練習です、もうすぐオムツとれますね?大切な孫ですよ!(#^_^#)
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