儀海史料 真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説 ⑤
東禅院印信
平安期末の悉曇学者、東禅院心蓮(治承五年寂)の印信。鎌倉時代の中期建長元年(一二四九)に醍醐寺の僧深賢の書写本がある。
【心蓮】平安後期の真言僧 ?~治承五年(一一八一)四月十八日没。諱は心蓮。号は理覚。長く高野山に住して顕密二教を研究し両部大法、諸尊秘軌を相承する。仏像を多く作り、十数年にわたって護摩を修し、千手法を四十数回行ったという。
【深賢】?~弘長二年(一二六二)真言宗の僧。字は淨林。按察法印、地蔵法印と号す。初め醍醐金剛院聖賢について潅頂を、次いで健保三年(一二一五)遍智
院成賢から職位伝法を受けた。歴仁二年(一二三九)幼弟の親快に伝法潅頂を授け、聖教・儀軌を授与したという。醍醐寺内に地蔵院を創建して開祖となる。そ
の法流を地蔵院流といい、三宝院の正統と称される。蔵書家としても有名で、正元元年(一二五九)以前のかれの書状によると、「八怗本」の平家物語を所持し
ていた。平家物語の成立過程に新たな問題を提起した書状として注目されている。著書、『普賢延命記』、『五大虚空蔵記』、『秘蔵記抄』など。
秘蔵記勘文
『秘蔵記』二巻。空海の著。成立年不詳。密教の要義である両部曼荼羅・四種檀法・三部五部・道場観・三句五転・潅頂・本尊などについて約一〇〇条 を挙げて解説したもの。著者については古来⑴不空の口説・恵果の記。⑵恵果の口説・空海の記の二説がある。⑴は不空の没後に来唐した般若三蔵の翻訳である 守護・六度二経をあげ、その口訣が註してあるから、この説は信じることができない。杲宝の秘蔵私鈔第一には深賢の鈔を引いて⑵の説を用い、以後東密ではこ の説を尊重している。しかし空海・杲燐などの口説を霊厳寺円行が記したものという説がある。頼瑜はこの『秘蔵記』に注釈を加えたものである。
妙印抄 (大日経疏妙印鈔口傳 宥範)
潅頂作法 醍醐口伝
【潅頂】(梵)アビシェーチャナ(阿鼻詮左)あるいはアビシェーカ(阿毘世迦)の訳。水を頭頂にそそぐこと。密教では法を伝えたり、仏縁を結ばせるための作法として重んじる。
古代インドでは即位式や立太子礼において、国王となるべき人の頂に四大海水をそそぐ即位潅頂の儀式が行われたが、大乗仏教では、これを菩薩が修行の最終階
位で仏となるべき資格を得るのになぞらえ、法王の職位をうけて諸仏の智水がその頂に注がれると解されるようになった。のち密教になると、如来の五智を象徴
する水を行者の頂にそそぐ儀式が行われるに至り、中国・日本にも伝わって、日本では延暦二十四年(八〇五)最澄が高雄山寺で初めて行った。東寺では承和十
年(八四三)実慧が勅許を得て、潅頂院で春秋二季に伝法・結縁の両潅頂を行い、同十三年からは秋季のみとなった。延暦寺では嘉祥二年(八四九)、一説に仁
寿元年(八五一)ともいう。円仁が鎮護国家のために潅頂を修し、例年朝廷から潅頂料を給された。高野山では応徳三年(一〇八六)から東寺に準じて、康和三
年(一一〇一)から春秋二季に行われた。
伝法潅頂 受職潅頂、伝教潅頂、阿闍梨潅頂、得阿闍梨位潅頂、ともいい、所定の修行を経て伝法阿闍梨となろうとする者が大日如来の秘法を授かるために行う特別の潅頂。
受明潅頂 弟子潅頂、学法潅頂、受法潅頂、持明潅頂ともいい、密教の弟子になるために行う潅頂。
結縁潅頂 多くの人に仏縁を結ばせるため投華得仏の法によって行う簡単な儀式。
金剛界・胎蔵界の各法によりまたは両部を合わせ行う金剛界潅頂・胎蔵界潅頂・両部合
行潅頂、即身成仏義の深秘口訣を授ける即身義潅頂、空海御遺告の難解七箇の大事を授ける御遺告潅頂、悉曇の難解を明示する悉曇潅頂などがあり、台密では蘇悉地経にもとずき両部不二の説によって修する蘇悉潅頂があり、この他に多くの潅頂がある。
秘鈔(抄)口决・聞書・異尊聞書
『秘鈔』一五~一八巻など。守覚法親王(一一五〇~一二〇二)の著。成立年不詳。東密小野流所伝の諸尊法を集めたもの。およそ六〇尊法および付法 五種をあげている。親王は初め広沢流を保寿院覚成に受けて沢見・沢鈔などを著したが、また醍醐の覚洞院勝賢に小野流を受けて野鈔(野月鈔)を作り、さらに 勝賢に問うて口伝を集めて野決鈔とし、この野鈔と野決鈔とをあわせ類聚して勝賢の許に遣わし、印可を求めた。以来醍醐では秘鈔と呼び、広沢方では白表紙ま た広蓋鈔と呼ぶ。頼瑜は秘鈔問答二二巻を著している。
駄都法口决抄
駄都法は、舎利法また米粒法(米粒を舎利というによる)ともいう。駄都(梵字ダートゥ)は如来の舎利をいい、この修法は道場の中央に仏舎利を安置 し、舎利を如意宝珠として観ずる密教の最極秘法。空海の遺言により師資の口伝によって相承される。この法は末法の衆生を利益するために行うという。駄都法 と如意宝珠法との異同について、三宝院流と観修寺流との間に説が分かれている。
退蔵入理鈔(たいぞうにゅうりしょう)
頼瑜著。異名を野胎入鈔。執筆年代、正安二年(一三〇〇)九月十二日。奥書によれば頼瑜が七十五歳の時にある人に頼まれて、根来寺の中性院におい て著されたものである。小野の諸流で用いられる淳祐の弟子延命院元杲(一一九二~一二六三)作の『退蔵界念誦次第(退蔵界念誦私記、広次第)』に対する注 釈で、本書より五年前に著された『金剛界発恵鈔』の姉妹編である。本書では、本軌である『大日経』や『大日経疏』、弘法大師や興教大師の著作をはじめとし た多くの東密諸師の次第や釈、台密諸師の次第や釈などを引用しながら、「私に云く」として、頼瑜自身の意見を交えて、主に教理的な意味の説明を中心として 解説している。頼瑜の晩年の著作であることから、諸流を兼学してきた胎蔵法に関する集大成ともいうべき著作である。【胎蔵界】理性がすべてのものに内在して大悲によって守り育てられているのを、胎児が母胎内にあり、蓮華の種子が華の中に包まれているのに喩えて、理、因、本覚、化他などの意をあらわすのが胎蔵界。