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Channel: たろうくん(清水太郎)のブログ
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武州南一揆と梶原氏 ②

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武州南一揆と梶原氏 ②

 梶原氏は、梶原景時の孫の景継が家を再興し幕府に出仕している。その子景家の娘は大石憲重の妻となっている。また景時の母が横山孝兼の娘であったことなどから多摩地域との関係が深い。「上杉禅秀の乱」の頃には梶原兄弟(美作守・但馬守)や梶原能登守の三家があり、「鎌倉年中行事」によれば御所奉行の役についている奉公衆である。梶原美作守は船木田庄由比郷横川村(八王子市元八王子町)に館跡があり、近くの八幡社の棟札によれば、寛正四年(1463)十月二十一日梶原修理亮家景、文明十七年(1485)十月十六日梶原修理亮入道道賢の名前を確認することができる(『新編武蔵風土記稿』元八王子村の項)。両氏とも同一人物で、美作守の次の代の人物と想定できる。特に梶原美作守の名は『鎌倉大草紙』などにも見える。応永二十四年(1417)三月鎌倉府の修理がおこなわれた時、足利持氏は梶原美作守の屋敷に一ヶ月ほど滞在したという。この村の奥の小字御霊谷に御霊社があり、鎌倉権五郎景政を祖神として祀っており、この子孫である梶原氏の祭神とかんがえられる。おそらく、武州南一揆の梶原氏の本拠地はこのあたりであったろう。



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