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無住道暁(むじゅうどうぎょう)と沙石集

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無住道暁(むじゅうどうぎょう)と沙石集

『 歎異抄』『正法眼蔵随聞記』と並ぶ作品と考えられるのが『沙石集』である。その作者無住道暁と『沙石集』について記しておきたい。儀海の生まれた弘安2年(1279)から執筆が始り弘安6年(1283)に完成している。この頃吉田兼好が生まれたようである。
【無住道暁】嘉禄2年(1226)-正和1年(1312)臨済宗の僧、無住は号、道暁は諱、また(一円)と号す。俗姓梶原氏。鎌倉に生まれ、18歳の時、 常陸で出家した。28歳で遁世して律僧(当時、常陸三村寺で活動していた忍性の弟子か)となったが、35歳で寿福寺に入り禅僧となった。後に西上して諸宗 を学び、臨済宗東福寺派の円爾弁円(えんにべんえん)の弟子となって禅密兼修を宗とした。尾張の長母寺(名古屋市東区)の住持として後半生を送り、修行の かたわら『沙石集』『聖財集』『妻鏡』『雑談集』を書き、説話集編者として文学史にも名を残している。博識の僧侶で、話題の豊富さ、語口の巧妙さを特色と する。無住道暁は長命であつたが、本来は病弱で、同族の医僧梶原性全(頓医抄の著者)の薬や医術に助けられことによるという。
【沙石集】しゃせきしゅう(させきしゅう)とも。鎌倉中期の仏教説話集。無住道暁編、10巻。弘安6年(1283)成立。成立後も添削・改編が続けられ、 その跡をうかがわせる多様な伝本が残る。仏教の趣旨についての啓蒙を主眼とする書で、豊富な例話を引く。霊験談・発心遁世談など型どうりの仏教説話ばかり でなく、和歌・連歌説話や卑俗な滑稽談も多い。無住は禅密兼修の僧で、他の諸宗にも明るく、所説は多岐にわたっている。後世よく読まれ、抄出本も多く説教 の種本ともされた。源頼朝と梶原景時との連歌による主従のありようや、得宗に仕えた梶原氏についても触れられている。小学館版新編日本古典文学全集52 『沙石集』がある。この小学館刊の『沙石集』にはないが、他の『沙石集』(第八の十「不法にして真言の罰を蒙る事」)の中に立川流の蔓延を憂いていると思 われる記事がみえる。

「近代真言の流に、変成就の法とて、不可思議の悪見の法門多く流布す。仏法は大小権実、聖道浄土、顕密禅教、法門の義理まちまちなれども、諸悪莫作 衆善奉行の教の変ることなく、我相人相執心執着を除くこと、都で異議なきに、明師に相伝なき、無知無道心の悪見の師多く出で来て、諸法実相一切仏法の詞、 煩悩即菩提生死即涅槃の文ばかりをとりつめて、機法のあはひ解行の分れもしらず。男女を両部の大日なんど習いて寄合ふは、理智冥合なんどいひなして、不浄 の行、即ち密教の秘事修行と習伝へて悪見邪念すてがたくして、諸天の罰を蒙る。仏陀の冥助なきのみにあらず。横死横難にあひ、多くは人に殺され、物に狂 ひ、疾病やみ、自害し、臨終狂乱巓顛倒す。現世にも中夭にあひ冥加なく、後生にはさだめて無間地獄におちて、出ずる期なく、又仏法に遇ふことあるべから ず。悲しむべしはや。凡そ真言の罰と云ふことはあるべからず。ただ邪念のとがをおのれとまねくべし。もしは守護天等のとがめ給ふか。能々師匠をえらびて、 正流の人正見の師にあひて習ひ修行すべし。末代は真言の利益ことにめでたかるべし。又悪見世に多し。よくよくわきまへらるべし。」

 真言立川流の発祥の地は東京都立川市の諏訪神社近辺と推測される、儀海が後年止住した高幡不動尊(日野市)の地とは多摩川をはさんだ対岸である。どのような思いで儀海は眺めていたのであろうか、儀海も真言立川流と無関係ではない。


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