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儀海史料 真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説③

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儀海史料 真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説③

即身成仏義顕得鈔(そくしんじょうぶつぎけんとくしょう)

本書は頼瑜三十二歳の時、正嘉元年(一二五七)に高野山において著されたものである。現存する『即身成仏義顕得鈔』は、文永四年(一二六七)に頼瑜 自身が再冶し、翌年に訓点をほどこしたものである。『即身成仏義』の逐語釈となって、全文を適宜に分けて引用し、これに注釈を加える形で論が進められてい る。凡そ七十部の転籍が参照されている。このうち、頼瑜が『即身成仏義』を解釈する上で主な拠り所としたのは、『異本即身成仏義』と『即身成仏義章』であ る。『即身成仏義章』は覚鑁の著作になるが、この他にも、『五輪九字明秘密釈』『心月輪秘釈』『淨菩提心私記』など、覚鑁の著作が多く依用されている。 「三密」について解釈する中で、「一密成仏」の問題を取り上げて論じている箇所もみられる。また、当時流行していた本覚思想を背景に、「草木成仏」につい て言及しており、これに関連して、有情非情の成仏を以下のように分類する教相判釈を展開している。
一、 但し仏一人のみ仏性有り…小乗
二、 多人、性有りと雖も、一分の無性を許す…法相
三、 一切衆生、皆、仏道を成ず…三論
四、 有情非情、倶に成仏す
  (一)、事理相即して成仏を論ずと雖も、理を以て本とす…天台
  (二)、事理鎔融して成仏を談ずと雖も、事を以て宗とす…華厳
  (三)、三密相応して、成仏を明かす…真言
 そこで、天台、華厳は、非情の成仏を説いても理念的なものであり、ただ真言だけが、真実の色心不二を説くとしている。また、こうした教理的な問題ばかり でなく、即身成仏をめぐる実践的な問題についても言及されている。問答の中には、三密行を修することによって即身成仏できるのか、道場で妄念が起つたり、 また道場から出て雑務を行っている時も、即身成仏しているのか、といった具体的な問題を扱ったものもある。

 十住心論引文・愚草
 
 十住心論は空海が大日経・菩提心論を正所依とし、顯密諸経論章疏・儀軌・外典などを広く引用して、一〇種の住心をたてて真言行者の心品転昇の次第を論じたもので、頼瑜には十住心論にたいして引文・愚草・勘文・第五勘文・衆毛抄・衆毛鈔等の注釈書がある。
【十住心】空海の十住心論に説く一〇種の心のありかた。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心。この順で次第に低い段階から高い段階へとのぼっていく。

 瑜祇経拾古鈔巻下(ゆぎきょうしゅうこしょう)

 『瑜祇経』の注釈である。『瑜祇経拾古鈔』の上巻、下巻にはそれぞれ奥書が記されているが、それらによれば、弘安七年(一二八四)の三月中旬、生 年五十九歳の時に醍醐寺で執筆し、さらに弘安十年(一二八七)十二月二十三日、生年六十二歳の時に、紀州根来寺で加点したようである。
『瑜祇経』は、世尊金剛界遍照如来が、自性所成の眷属とともに、光明心殿に住して、三十七尊の心真言を説き、さらに、金剛愛染王の心真言、摂一切阿闍梨行 位の真言、菩提心の真言、愛染王の修法、大勝金剛頂の真言、仏眼の真言、、内護摩、外護摩、五部の潅頂法、大焔金剛夜叉の修法などを説く。真言宗では、こ の『瑜祇経』を両部不二の深義を説く経典として重視する。

 陀羅尼儀愚草

【陀羅尼】サンスクリット語の音写で〈総持〉〈能持〉などと漢訳する。経典を記憶する力、善法を保持する力を原義とし、さらに呪文の意として用いら れるようになった。〈呪文〉は本来、修行者が心の散乱を防いで集中し、教法や教理を記憶し保持するために用いたもので、すでに大乗仏教の時代に盛行してお り、密教の時代になるとさらに言葉に内在する存在喚起の効能に期待する性格を強めた。同じく呪文としては〈真言〉や〈明呪〉さらには〈心真言〉があるが、 言葉によって存在を喚起し、事象を支配するという本質は同じである。陀羅尼はそれのうちでは比較的長く、まず「ノウマク・サマンダボタナウ」という帰敬の 辞に始まり、諸々の仏菩薩、神などに対する多くのエピセット(形容句)を連ね、祈願をし、最後に「ソワカ(蘇婆訶)」で結ぶ形式をとる場合が多い。

 理趣教文句愚草

【理趣教】般若理趣教ともいう。日本密教の真言宗で常時読誦される経典で、詳しくは〈大楽金剛不空真実三摩耶教般若波羅蜜多理趣品〉という。一巻。 不空訳。本来、玄奘訳の〈大般若教〉(六〇〇巻)に含まれる「理趣分」を祖型とする般若経典であるが、それが密教化されたもので、密教内の伝承では金剛頂 教十八会のうちの第六会をなすものとされる。
内容は十七段よりなり、各段の末尾に密教的な種子(その段の内容を代替しうるはずの特定のシラブル)を付するが、殊に初段に「妙適清浄句是菩薩位」以下の いわゆる十七清浄句が説かれ、この内容が男女の性行為に関わり、かつその行為そのものを肯定するがごとき意味にとりうるものであるため(因みに妙適とは、 男女の性行為による快楽の状態を意味する)、この経典は仏教では本来否定され、抑圧さるべきものとしての性欲を肯定し、解放し、それによって密教の宗教理 想たる諸仏の大楽の境地に冥合せんとする革命的な思想を宣明するものであるとの理解がなされている。しかし、この十七清浄句に相当するものは、すでに玄奨 訳の「理趣分」中に存することから、そのような一見性欲肯定的な表現には般若経典を誦持する菩薩たちの内面性に対する比喩としての性格が見出されねばなら ず、またこの経典それ自体の趣旨は、例えば要約部分としての百頌偈の「菩薩勝慧者、乃至尽生死、恒作衆生利、而不趣涅槃」以下の偈が示す通り、純粋に大乗 的である。
この経典の読誦の習慣を定めたのは空海であるが、その場合彼はこの経典のたとえば同じ初段の「金剛手よ、若し此の清浄出生句の般若の理趣を聞くもの有らば 乃し菩提道場に至るまで一切の蓋障及び煩悩障法業障を設え広く積集するとも必ず地獄等の趣に堕ちず、設え重罪を作すとも消滅すること難からず」という表現 が示す如き罪障の消滅や堕地獄を防ぐ呪術的な効力に注目したものであろう。

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