儀海史料 真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説 ①
儀海史料 真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説
大疏指心鈔 十六冊(頼瑜述)
『大日経疏指心鈔』(だいにちきょうしょししんしょう)が正式名で、大疏指心鈔は異名である。執筆年代は弘長元年(一二六一)~健治四年(一二七
八)。本書は『大日経疏』の「入真言門住心品第一」、「入真言門住心品之余」、「入真言門住心品之余」の第三巻までに対する注釈書である。『大日経疏』の
文章を適宜に切り分け、その中の語句の説明、あるいは重要な語句に関しては、種々の経典や論書、また先学者の意見を取り上げ、問答している。頼瑜は加持身
説法を唱えたことで有名である。この『大日経疏指心鈔』はその加持身説を唱えたという根拠があるとして知られている。
加持身説法というのは、『大日経』の教主は誰なのかということであるが、その延長線上の、密教の教主は誰なのかということである。毘盧遮那仏が教主である
ことに、それぞれの学者は、異存がない。しかし、その毘盧遮那仏は法身であり、法身は理身として考えられており、説法するかどうかの問題に関しては、顕教
の経典では、言語等をもたないにで説法しないといわれている。弘法大師空海は『弁顕密二教論』等において、密教と顕教の違いは、密教は「自受用法性仏が内
証智の境を説く」といい、これが法身説法であるという。また『弁顕二教論』の下巻において、「金剛頂経所談の毘盧遮那仏自受用身所説の内証自覚理智の法と
は、即ち理智法身の境界なり」といっており、そこで毘盧遮那仏と自受用身、そして理法身と智法身の考えが複雑に交錯する。『大日経疏』では、「薄伽梵と
は、毘盧遮那本地法身なり。次に如来とは、是れ加持身なり。其の所住の処を仏受用身と名つく」とある。「次云如来是仏加持身」が頼瑜の加持身説を唱える重
要な部分である。そこでは、智証大師円珍・般若寺の観賢・木幡の信証・済暹僧都の意見を挙げ、「私に案ずるに、仏加持身というは、上の薄伽梵句の中を指
す、彼の句は本地加持を含むが故に。本地無相位に、言語無し。加持身、是れ今経の経主なる故に、曼荼羅中台の尊というなり」とあり、加持身説を立ててい
る。
釈論開解鈔(しゃくろんかいげしょう)
異名を『釈摩訶衍論開解鈔』という。本書は頼瑜による『釈摩訶衍論』の註釈書で、執筆年代は建長八年(一二五六)~弘安六年(一二八三)である。
『釈摩訶衍論』(しゃくーまかえんーろん)は略して釈論という。竜樹の造、後秦の筏提摩多(ばつだいまた)の訳と伝えられるが、七・八世紀頃に新羅か中国
で作られたものと思われる。大乗起信論の詳細な注釈書。古くより偽撰説がある。日本でも天応元年(七八一)に戒明によって伝えられて以来、偽撰とするもの
が多い。日本では空海が真言所学論典に加えて以後、多くの研究・注釈がなされ、真言宗(東密)で重用された。頼瑜は真言宗の立場から、偽撰説を排して、
顕・密を対弁している。
【大乗起信論】大乗仏教の論書。馬鳴(めみよう)の著と伝えられるが、五~六世紀の成立か。真諦(しんだい)訳一巻、実叉難陀(じつしゃなんだ)訳二巻が
ある。一心を基にして現実相(生滅門)と永遠相(真如門)を関係づけたもの。その中の「本覚」という用語は有名。大乗仏教の入門書として広く読まれる。略
称、起信論。
五大虚空蔵念誦次第
五大虚空蔵とは虚空蔵菩薩の徳あるいは智を五方に分けた五尊の総称。東方の福智(金剛)、南方の能満(宝光)、西方の施願(蓮華)北方の無垢(業 用)、中央の解脱(法界)の各虚空蔵菩薩をいう。念誦は心に念じ、口に仏の名号または経文を唱えること。密教では、本尊の真言を観じてとなえ、本尊と自己 との身・口・意のはたらきが1体となって成仏しようとすることをいう。東密では正念誦(念誦、次第念誦)と、散念誦(随意念誦、諸雑念誦)の二種がある。
宝鑰愚草(ほうやくぐそう)
宝鑰は略称で『秘蔵宝鑰』が正式な名称である。空海の著で真言宗の教判である十住心の各々の行相と典拠を説いたもの。淳和天皇が天長年間(八二
三~八三四)諸宗の碩徳に勅して各々その宗要を録し奏進させたとき、空海は秘密曼荼羅十住心論一〇巻を撰して上奏したが、その文が広博であったので重ねて
勅を賜りこの書を奏進したものという。従って十住心論を広論といい、本論を略論という。本文には十住心の名数を列ね各条には引用経論を最小限に止めて簡略
化している。
宝鑰愚草は宗祖弘法大師空海の著作に対し、伝法会談義に際して為された議論の内容を頼瑜が編集したものである。
宝鑰勘注
宝鑰勘注は略称で『秘蔵宝鑰勘注』が正式な名称で、弘法大師の著作『秘蔵法鑰』三巻に対する注釈書である。頼瑜法印七十歳、永仁四年(一二九六) の時の著作で八巻よりなる。『秘蔵法鑰勘注』は『秘蔵法鑰』の全文を挙げ、適宜に分割し、『秘蔵法鑰』の引用する経論を丹念に取り上げている。