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地侍たちの戦国(3)-杉田一族ー

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地侍たちの戦国(3)-杉田一族ー

 杉田氏は武蔵多摩郡川野村・小河内郷(東・奥多摩町)の地侍。もと三田氏の家臣。この地は武田氏との国境の地、いわゆる「境目の地」である。
 相模原市緑区の津久井地区の津久井衆は、戦国時代に「敵半所務」「敵知行半所務」といわれ境目の地侍であった。また、檜原村の平山氏も境目の地侍であっ た。このように後北条氏の治めた戦国時代には境目の地侍達の動向は重要で、他国の情報を知る、目鼻でもあった。そこでは、建前では敵・味方の対立もあった が、経済面ではお互いの交流があったと思われ、厳しい対立状態ばかりではなかったろう。曖昧なことも重要なのである。
 『新編武蔵風土記稿』第六巻141頁(雄山角版)には杉田氏の記載が有る。
舊蹟 杉田某屋敷鋪蹟 村の西邊を云、北条の臣杉田某の屋敷跡なり、北条氏没落の後子孫民間に蟄居せしよりこゝ居れし、今の農民次郎兵衛は舊家なれば、猶舊家の條に辨せり、
舊家 百姓次郎兵衛 杉田氏にて村の里正なり、家系を閲するに杉田右近允重直武州多磨郡の内相馬保に住せり、この人杉田氏の始めなり、按にこの邊杣保庄の 唱あり、杣保は相馬保をかきかへたりと云ことは已に前に辨したり、さあらばこの人の時よりこゝ居りしなるべし、其子次郎兵衛尉入道淨泉北条氏直まで歴任し て、いと長壽なりしことも家系に見えたり、この後にのする文書に入道殿とあるべし、其子次郎後に越後守と称せしもの相馬保三ヶ所知行とあり、又杉田清兵衛 富久後但馬守など云ものあり、この外杉田氏を記せること連綿たり、杉田越後守及杉田清兵衛へあたへし文書三通、外に三田弾正への文書一通を合せて、家に蔵 せるは後にのせり、左の文書を見ても、舊くよりこゝに居りしことしるべし、北条氏没落ののち民間に下りしことは舊跡の條幷せ見るべし、


  本領ニ候間、河野之儀不及申、大木幷原島左京亮分
  へ永代出置候、猶奉公簡要、如件、
  享録四年なり
  辛卯卯月十日
                 大蔵少輔信教(三田氏)
       杉田越後守殿

        (東京都西多摩郡奥多摩町川野)

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
  大途御弓矢立ニ候間、小河内衆之證人、此度召上
  候、然者十二ニ成小所持申候由被聞召届候□子を
  惣□ニ御扶持可被下間、速ニ證人被進上、心易谷中
  之走廻可致之、此度抽候走廻ニ付而は、随望知行可
  被下旨、被仰出者也、仍如件
  天正十五年なり
  丁亥正月五日
                奉 大石四郎右衛門尉
                   横地與三郎
                   狩野刑部大輔
        杉田清兵衛殿

          (奥多摩町川野 杉田郡平現蔵)

   -------------------

  御懇のふみ給候、依下うりのわらへ之儀、一人□つけ
  おき申候處ニ、このほうへ御越なされ、あとへ御返
  し可有よし、うけたまはり候間、先へ兩四人へあつ
  け申候、如何さまするかより罷歸候はゝ、たんかう
  よろしくさかひめ之儀と申、重て此方より罷下候も
  の、御しやうにんになられ候はゝ、しあん申被爲も
  可有之候、委く甚左衛門へ申付候、委曲重而恐々謹
  言、
   返々後童申候儀、能々御談合可致候以上、
   九月廿八日
                  喜多右親富(花押)
         杉 田 入道   殿
         同 右 近 丞  殿
         原島七郎右衛門尉殿
         同 七郎左衛門尉殿
                 まいる

           (奥多摩町川野 杉田郡平現蔵)

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【三田大蔵少輔信教】 三田氏の一族、この文書以外不明。
【杉田越後守】 杉田次郎兵衛尉入道淨泉の子。次郎、のち越後守。
【大石四郎右衛門】秀信 源七郎・四郎右衛門尉・遠江守。松田筑前守の三男。武蔵国滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。大石綱周の弟遠江守の娘を室とし娘婿として家督を相続。
【横地與三郎】横地監物丞吉信の嫡男。滝山城城主北条氏照の家臣。普請奉行を務める
【狩野刑部大輔】狩野一庵と父子か一族。
【杉田清兵衛】杉田氏の一族。富久(清兵衛・但馬守)。
【北条親富】この文書以外不明。
【杉田入道】杉田右近允重信の子。次郎兵衛尉入道淨泉と号す。
【杉田右近丞】杉田右近允重直と同一人か。元三田氏の家臣と思われる。
【原島右京亮】武蔵国辛垣城(東・青梅市)城主三田綱定の家臣、のち滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。永禄五年四月十日北条氏照朱印状(斎藤真 指氏蒐集文書・七五五)では武蔵国いつ原(東・奥多摩町)の原島右京亮に三田氏の時に下ろしていた一原のはい鷹の巣を当年も滝山城の北条氏照に納めさせ た。奉者は横地吉信。
【原島七郎右衛門尉】北条親富、のち滝山城城主北条氏照の家臣。
【原島七郎左衛門尉】原島一族の棟梁家と思われる。原島氏は武蔵国多摩郡一原郷(東・奥多摩町)の地侍。丹党の一族。同国丹三郎にも一族がいた。

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