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真言僧儀海の足跡 二

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真言僧儀海の足跡 二


 二  偉大なる日本密教の祖師たち

 インドで七世紀以降密教が成立すると、最澄や空海が入唐しその教えを我国につたえた。

古代末から中世は仏教の時代であるといえるが、その中でも密教は中心的存在である。空海の真言宗に遅れをとつていた天台宗の教義も限りなく真言宗に近づ き、追い越してゆくそれを可能にしたのが、円仁と円珍である。やがて、南都諸寺も次第に真言化してゆくことになる。儀海は空海の法脈を伝えた真言僧であ る。祖師、空海に対する憧憬の念は真福寺文庫の聖教類の奥書に窺うことができる。次に空海・最澄・円仁・円珍について略歴を記しておきたい。

空海 宝亀五年(七七四)~承和二年(八三五)平安初期の僧。真言宗の開祖。諡号弘法大師。讃岐の人。父は佐伯氏,母は阿刀氏。幼名真魚。延暦七年(七八 八)伯父阿刀大足トともに入京,七九一年大学に入るが退学して仏道を志し,四国の難所で苦行を重ねた。七九七年京にもどり『三教指帰』を著わした。八〇四 年唐にわたり,長安で清竜寺の恵果に師事して密教を学び,胎蔵・金剛両部さらに伝法阿闍梨の潅頂をうけた。大同元年(八〇六)密教の図像や経論などを携え て帰国し,その目録を朝廷に献上。筑前観世音寺・和泉槙尾山寺を経て八〇九年京に入り高雄山寺に入住。以後最澄と交際し,また詩文などの素養により嵯峨天 皇に寵遇された。弘仁二年(八一一)乙訓寺の別当となり,翌年高雄山寺で最澄とその門弟に両部潅頂を授けたが,このご最澄との間に確執が生じた。八一六年 嵯峨天皇より高野山の地を賜って金剛峯寺の建設に着手した。八二二年東大寺内に潅頂道場(真言院)を創建し,八二三年東寺を賜って真言宗の根本道場とし, 教王護国寺と名づけた。天長元年(八二四)少僧都,八二七年大僧都。八二八年庶民教育のために綜芸種智院を建立。承和元年(八三四)宮中に真言院をもうけ 後七日御修法を創始し,翌年高野山で死去した。詩論書『文鏡秘府論』,宗論書『弁顕密二教論』『秘密曼荼羅十住心論』。その漢詩は弟子真済編『性霊集』 に,筆跡は『風信怗』にうかがえる。

最澄 神護景雲元年(七六七)~弘仁十三年(八二二)平安初期の僧。天台宗の開祖。幼名広野。諡号伝教大師。叡山大師とも。近江の人。父は三津首百枝。行 表の弟子となり,十五歳の時,国分寺僧として得度。延暦四年(七八五)東大寺で受戒したが比叡山に入り,山中に草庵を結んで修業の生活を送った。七九七年 十禅師に任ぜられ,翌年比叡山で法華十講を始終,八〇二年和気氏の催す高雄山寺での天台会の講師をつとめた。八〇四年遣唐使に伴い入党して天台山に参じ, 台州で天台の教義・戒律・禅を学び,また越州で順暁から密教の潅頂を受け,翌年多くの仏典を携えて帰国した。最澄を援助した桓武天皇は高雄山寺に潅頂道場 を設立。天皇看病の功により大同元年(八〇六)止観業と遮那業の天台宗年分度者二人が許可され,日本天台宗が開かれた。遅れて帰国した空海と親交を結んで 密教を学び,高雄山寺で空海から潅頂をうけたが、のちその仲は険悪となった。弘仁五年(八一四)九州,八一七年関東へと赴き,天台教学の布教につとめた が,特に会津の法相宗僧徳一との三一権実論争は有名。八一八年~八一九年,三度にわたって朝廷に『山家学生式』と総称される天台僧養成の規定を奉り,大乗 戒壇の設立を懇請したが,南都の僧綱の反対により許可されなかった。『顕戒論』はその際に南都の僧綱が提出した奏状に反論したもの。八二二年最澄死去の直 後,弟子光定の尽力や藤原冬嗣らの援助で大乗戒壇設立は嵯峨天皇により勅許された。

円仁 延暦十三年(七九四)~貞観六年(八六四)平安前期の天台宗の僧。山門派の祖。諡号慈覚大師。俗姓壬生氏。比叡山に上がり最澄に師事。伝法潅頂をう ける。承和五年(八三八)入唐。五台山参拝ののち長安に入る。武宗による廃仏が始まり,還俗姿で帰途につく。八四七年帰国し比叡山にもどる。斉衛元年(八 五四)三世天台座主となり,天台宗密教化に貢献した。文徳・清和両天皇や藤原良房らの帰依をうけた。主著『入唐求法巡礼行記』『顕揚大戒論』。

円珍 弘仁五年(八一四)~寛平三年(八九一)平安前期の天台宗の僧。寺門派の祖。諡号智証大師。俗姓因支氏,のち和気氏と改姓。讃岐の人。十五歳で比叡 山に上がり,座主義真に師事。嘉祥三年(八五〇)内供奉十禅師となり,仁寿三年(八五三)入唐。天台山・長安などで修業し,天安二年(八五八)帰国。入唐 の記録『行歴録』がある。翌年三井寺(園城寺)を修造し将来した経典をおさめる。貞観十年(八六八)延暦寺座主。寛平二年(八九〇)少僧都となり,翌年没 した。

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