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天正期における北条氏照家臣団ー倉林弾正ー

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天正期における北条氏照家臣団ー倉林弾正ー

 三二〇 北条氏照着到書立写 諸州古文書一二

やり一本
 五人上下  一本さし物   倉林弾正
       二人手明
      以上

【倉林弾正】 徳川家康に仕えた倉林弾正の名がある。『寛政重修譜家譜』に次のようにある。
●友則(弾正の父)刑部大輔 北条氏輝に仕へ、天正十八年四月前田利家武蔵国松山の城をせむるの時、友則援兵となりてかの城に籠り、防戦して討死す。法名善慶。●昌知 四郎兵衛(弾正の兄) 小田原没落ののち、武蔵国八王子の眞學寺にあり。天正十八年九月めされて東照宮に勤仕し、のち尾張大納言義直卿に附属せらる。●則房 弾正 五郎左衛門 今の呈譜秀房に作る。小田原落城ののち、兄とともに八王子の眞學寺に寓居す。そののち相模国藤沢の遊行寺にをいて東照宮にまみえたてまつり、御家人に列し、武蔵国都筑郡の内に於いて新墾田をあはせ、采地百六〇石餘及び月俸三口を賜ひ、後關原の役をよび大阪兩度の御陣に供奉し、其のち川越に住し、御鷹塒飼をつとめ、御代官をかぬ。寛永二年十一月十一日後朱印を下さる。三年かの地にをいて死す。年七十六.法名機珊。
倉林和泉守 『町田市史』五八七頁に〔…市内小山町の島崎兵吉家所蔵の『覚書』(宝暦七年正月)に弘冶元年正月に主君の倉林和泉守家次から「島崎三郎次吉」の名乗り下賜わされた同家の祖が…〕とある。


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