天正期における北條氏照家臣団ー守留藤左衛門ー
三二〇 北条氏照着到書立写 諸州古文書一二
やり一本
五人上下 一本さし物 守留藤左衛門
二人手明
以上
【守留藤左衛門】 本稿の着到状以外にその名はない。
留守氏は頼朝の奥州征伐後、陸奥国留守職に任命された伊沢左近将監家景を祖としている。二代家元以降、留守を称した。留守氏は多賀城国府周辺の「高用名」と呼ばれた地域の地頭で、初期の居城は、利府の加瀬あたりと考証され、代々塩釜神社の神主として強い支配力を有していた。十二代詮家の応永年間より、家督相続などで大崎・伊達氏の干渉を受けることが多くなり文明年間に伊達持宗の子郡宗が十四代を相続し、完全に伊達氏の勢力圏に入った。この一族か。